咳をしても看護師。

しがない看護師の日記です。

サラバ!的ななにか

こんにちは!今日は、読書感想文です*

もう7年も前の作品のようですが、西加奈子さんの直木賞受賞作、「サラバ!」を読みました。

素晴らしい作品だったので、ちょっと思うところを徒然なるままに書き留めたいと思います。

 

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ある男の、生まれた瞬間から37歳までの人生の物語。

私も本は好きな方ですが趣味と言えるほどでもないレベルで、西加奈子さんの作品を読んだのは今回が初めてでした。

やっぱり文章がうまい!しょうもない感想のようですが、知らない用語はその都度検索しながら読み進めることで日本語の勉強にもなるし、同じことを伝えるにもわくわくさせる文章の組み方・言葉の選び方に、終始感動しながら読み切りました。

 

そして、もともと単行本のようですが私は文庫本になったものを購入しました。上中下巻という、3冊にわたる長編となっています。

ハリーポッターとか読めない系なんで、東野圭吾白夜行という長編文庫も相当ひるみながら読みましたが、それの倍くらいと思います。3冊重ねた厚さは、小指ちょうど1本分です。はい。

でも、勇気を出して読み始めてみると全然読めました。一気読みできなくても理解が追いつく優しい構成となっているように思います。登場人物のキャラもいちいち濃いので忘れることはなかったです。

 

本題ですが、主人公の人生に沿って、登場してくる人物それぞれの「生きるための軸・信じるものは何か。」みたいなものがテーマになっています。

主人公の姉による、「あなたが信じるものは、他人に決めさせてはいけないわ。」という言葉はいざ形にされてしまうと非常に頭の痛い、深い言葉です。

 

私自身にもぶっ刺さりましたが、今回は看護師目線で。

 

単純でない病気で初めて入院してくる方のどん底の表情を、その家族の困惑しきった表情を、私は何度も見てきました。

その人とその病気との組み合わせって、どうやって決まってるんですかね。

遺伝とか、環境とか、生活習慣とか、ある程度考え得る因子はありますが、

似たような生活習慣でも罹る人罹らない人がいるわけで。

 

(・∀・)イイネ!!もしてないのに、いざ突然、その病気とマッチングさせられて、お断りする権利すらなくて。

「はい今日からあなたこの病気とともに生きてね~!死ぬまでよ♡」って言われて。

そりゃー、受容するのに幾段階も感情を要するわけですよね。むちゃくちゃですもん。

 

そこで自らの意志に反して、今までの価値観や時間の使い方、思考の傾け方をカスタマイズし直さないといけなくなります。

かと言って、病気中心の人生になってしまうのは嫌ですよね。

たくさんの病気、そのステージがあるので一概に言えることはありませんが、

「それでも信じられるもの・揺るぎないもの」というのがあるかないかでは、やはり心の健康度が全然違うと思います。

 

看護師の介入として。いろいろ考えてみましたが、やはり基本の共感的理解・積極的傾聴に尽きるようです。

病気に対して受け入れの段階に到達していないとき、患者さん家族さんにとって看護師は、敵のように見えることはよくあると思います。

看護師も人間ですので理不尽に当たられるのは辛いですが、患者さんの受容段階においてそれが必要である場合もあるんだと思います。

そして受容段階を経て、一歩踏み出す際には「信じられるなにか・揺るぎないなにか」を意識的に持つことはその後の自分自身を大いに救ってくれるんじゃないかと思います。

 

看護師の立場としてそれを頭に置いてケアに当たることができれば。

よく聴き、よく聴き、よく聴いたうえでポロっと応援の言葉をかけられれば。

他人の考えは変えられないと言いますが、

ただ聴く姿勢を持つことで、その人の言葉としてそれを引き出し、結果的に「おかげで頑張れる気がしてきたわ!ありがとう!」なんて感謝されることってありますよね。

それって自分の言葉やから、自分発信のものやから、強いんですよね。

 

それが出来たなら、単なる入院先のお世話係さん、だけでなくそっと寄り添える天使さんになれることもあるんじゃないでしょうか。

タイミングは間違えないように。難しいけどね。

 

そんなことが学べた1冊、いや3冊でした。おもちろかった!

では、また~